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沿革

草創の時代 昭和34年~昭和43年

函館本線

昭和34年12月伊藤社長が創設し、事務所を北5条東3丁目志賀宅の一室を借りて発足。主たる受注先は国鉄札幌工事事務所、北盛電設(株)で国鉄電力工事、農村電化工事等に従事した。当時は、社員も少なく営業、資金繰は社長が工面していたが給料の遅配は幾度となくあり苦難の道を歩んでいた。昭和40年頃より日本電設工業(株)より受注を受け、国鉄電気工事を主に従事し受注高も増加し始めた。

激動の時代 昭和44~昭和53年

地下鉄南北線

昭和47年冬季オリンピックが札幌で開催それに伴って札幌駅の改修、地下鉄南北線工事を施工した。昭和48年に起った中東戦争が引金となり、オイルショックを迎え経済は不況に陥り、昭和48年頃まで横ばいの受注高であった。昭和49年頃より地下鉄東西線、南北線延長工事を施工し不況風邪を地下にもぐりま逃れ受注高も倍増したが連日連夜の強行作業であった。

飛躍の時代 昭和54年~昭和63年

占冠配電室受電装置

昭和51年から始まった石勝線の工事も最盛期に入り昭和56年の開業目指し工事も急ピッチで進められた。
昭和55年から東西線の白石・新札幌の延伸工事。東豊線の栄町・豊水すすきの間新線工事等を手掛け受注も安定してきた。
昭和58年6月に伊藤社長が急死(85歳)。後任として小川利雄が社長に就任したが昭和59年7月急死したため急遽、篠田一男が就任、同8月に中村照次が社長に就任した。
昭和62年には国鉄民営化によりJR北海道が誕生し受注も増加してきた。

安定の時代 平成元年~平成10年

大和興業株式会社社屋

昭和61年から続いたバブル期だが弊社としては、是といった恩恵も受けぬまま平成4年に崩壊し企業の倒産、景気低迷が続く中、健全な顧客に恵まれ難を逃れた。
昭和63年JR北海道のグループ会社である(株)ドウデンが設立され弊社もその傘下で工事を受注し平成元年には、無事創立30周年を迎え洞爺湖サンパレスにおいって記念式典を開催した。
平成3年中村社長退任、今内力が後任社長となった。
平成に入り工事も順調に受注、電車線工事が主流となった。
平成5年には対前年度160%の完成工事高となり平成10年創立40周年を迎え完成工事高は横ばいが続いた。
平成6年に間借り生活から脱皮、念願の社屋を新築現在地に移転した。
平成8年に今内社長退任、島村保男が後任社長となる。

発展の時代 平成11年~平成20年

旭川運転所電車線工事

いよいよ21世紀にはいり企業の生き残りをかけた経営を余儀なくされ予断を許せない資質を問われる時代である。
平成14年には資本金2000万に増資、特定建設業の認可を得て一般工事の受注を目指し平成15年には経営理念を定め社会から認められる企業、社会に貢献できる企業えと変貌することが生き残る道と考え平成15年9月、国際標準化機構の品質マネジメントシステムである、ISO9001:2000を取得、顧客満足、顧客に信頼される企業をめざし信頼される企業になるため、ISOを活用し日々全員で取り組んでいる。
社員も増え手狭になったので平成19年には、社屋を増築した。
念願であった、官公庁の仕事も平成17年には文部科学省(北大経済学部改修)、札幌市交通局の工事を受注した。
その後平成18、19年と文部科学省、札幌交通局と受注することができ不況風邪の中、受注高もなんとか確保できた。平成17年に入り北海道新幹線(本道側)も着工し平成20年から青函トンネル内の電車線改良工事にも携わっている。

改革の時代 平成21年~令和2年

北海道新幹線

昭和34年12月に伊藤社長が創業して62年になります。今日まで国鉄、JR北海道と鉄道電気工事を主に歩んできました。鉄道電気も時代と共にSLから新幹線の時代へと移り変わり弊社も大きく変貌を遂げ、社員も40名を超え売上高も順調に伸ばすことができました。2011年3月に起きた東日本大震災は震度7を記録し東北、関東に甚大な被害をもたらしました。同年5月にはJR北海道石勝線での特急列車の脱線火災事故等も有り鉄道の真価を問われる時代でもありました。一方で北海道新幹線工事も2016年開業に向け工事も順調に進み2016年3月新函館北斗まで開業いたしました。その間約10年間、新幹線工事にも携わり現在も青函トンネルの設備更新工事に携わっております。同時に五稜郭~新函館北斗間の電化工事にも携わり現在は2030年札幌開業に向けて延長工事が進められ弊社も札幌駅構内の改良工事に携わっているところです。
2017年には島村社長から藤原社長へとバトンが渡され現在に至っております。